私の中の男の子/山崎ナオコーラ

私の中の男の子

私の中の男の子

女性でもなくて男性でもなく、私は作家だ。と主人公は言い切っているのだけれど、性別と職業が同レベル化されていることにとても違和感を覚えてしまう。さらに女性視されることを忌み嫌う主人公は乳房を切除して女性性との決別を果たすのだけれど、胸のない自分を男性がどう見るかを常に意識いており、より女性化しているようにしか見えない。デビュー当日のナオコーラ作品は大好きだったのだけれど、今回の作品はちょっと辛かった。

ぼくから遠く離れて/辻仁成

ぼくから遠く離れて

ぼくから遠く離れて

男の娘と女の子不要な草食系男子と、コケティッシュでカワイイ男の子が好きな女子とが全盛期な時代の中で、彼らの生態を描こうとして失敗してしまった感じ。 keyの正体が、ずいぶん思わせぶりだった割にはかなり最初の方でネタばれしてしまってるのがさらに残念だった。 女装男子の心理描写が上手くいかないのなら、せめて女に変わってゆく身体の描写に力を入れて欲しかった。化粧の描写だけでなく、女性下着を付けた「君」の身体ビフォアフターなど、どのように女の子っぽくなったのか描写していてもいいのかと思った。想像力が足らないとかなり気持ち悪い映像が頭の中に浮かんでしまう。

ニキの屈辱/山崎ナオコーラ

ニキの屈辱

ニキの屈辱

ジェンダーがテーマなのか、恋愛に不器用な女の子がテーマなのか、読めなかった。 「手を繋ぐことを発明した人ってすごいよね」 ナオコーラのこういう文章がいいと思う。 「犬のようなしもべが欲しい」という台詞も気に入っている。 ナオコーラは感情を言葉にするのが上手い。

三月の招待状/角田光代

三月の招待状

三月の招待状

今いる所から出てゆかなければ、自分を変えることはできない。大前研一の言葉だったか?年賀状を出す人を選別する時、いつも僕はこの言葉が浮かんでくる。人間関係を大事にしているようで、それは単にしがみついているだけなのではないかと、もう何年も会わない人との年賀状を見て思ってしまうのだ。けれど、同時にどこにも行くところはないし、どこへ行けばいいのかさえ分からない自分のことも分かっている。三月の招待状は、そんな小説。

世界は箱の中だけで完結し、決してその外へと出ようとはしない。

クロエとエンゾー/辻仁成

クロエとエンゾー

クロエとエンゾー

二度と会えないけれど、思い出の中に大切にしまっている人が誰にでもいるはず。

運命の人を探し求める旅に出てもいいし、どこかでその人を待っていることもできる。

物語は結末ではなく、結末に至るまでのプロセスが大切。大切な人と出会うこともできるし、やはり出会わないという選択をすることもできる。

決別してしまった人と和解したり、新しい地で出会った人に愛されることも可能だ。

けれど、それはあくまでも結末のない空想の世界での出来事。

クロエとエンゾーはそんな小説。

私の男/桜庭一樹

私の男

私の男

第138回直木賞受賞作品。北海道南西沖地震と近親相姦と純愛ドラマとを適量ずつボールに放り込んで、形が崩れてしまわない程度に柔らかく混ぜ合わせて、しばらく寝かせて味を馴染ませました、という感じのぶっ飛んでいるけれど、切なくて、愛おしい物語。過去に遡る形で章が進む。淳悟と花との関係の秘密と愛情の深さと異常性とがどんどんひも解かれてゆき、読後感としては第一章を全否定してしまいたくなってしまう。どうして花は結婚しなくてはならなかったのかという根本的な疑問に打ち当たってしまうのだ。思わず再度読みたくなるし、二度目に読む時は最後の章から読んでみたい一冊。

なんらかの事情/岸本佐知子

なんらかの事情

なんらかの事情

相変わらず岸本さんのエッセイは、お腹が痛くなるほど笑ってしまう。残念なのはこの人が実は翻訳家で、あまりエッセイは手がけていないこと。はやく次が出ないかと心待ちにしている次第。ああ、待ち遠しい。